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よく教職員組合運動を語る上で「教育条理」という言葉を使います。
条理という言葉には「社会における物事の筋道。道理。」という意味があるとされています(大辞林より)。
宗谷の学校で、宗谷の教職員が長い間大切にしてきた教育を考える上での筋道や道理としての拠り所として日本国憲法があります。そして、教育基本法には教育の目標として「人格の完成」が掲げられています。
もう少し噛み砕いて書くと、子どもたちの人間的な成長を保障するという教育の営みということになるでしょう。
一方で、「学力」向上施策やゼロ・トレランスを是とする考え方が学校の随所に見られることや、教職員の業務量や実態としての勤務時間は増すばかりで、教育条理を求めあうにも一苦労という実態もあります。
そして、こうした時代だからこそ「いい先生になりたい」という、教職員になろうと願ったきっかけを振り返ることが大事なのではないでしょうか。
例えば、授業づくり。
教員免許を持っているだけで、子どもたちが瞳を輝かせる授業が可能かといえば、それは難しいでしょう。子どもたちの現状を受け止め、教科書の指導内容をもとに「この子たちに向けて」の最良の方法を考えたりします。
また、授業だけではなく、児童生徒理解や集団づくりは一般教諭だけでなく、管理職や専門職の先生方とも大いに力合わせをしていきます。
次期学習指導要領に向けて、この秋以降は道徳の教科化をはじめ、各教科での移行措置に向けた準備がはじまります。こうした時期だからこそ、「私たちが大切にしていきたい教育とは何か」という、いわゆる教育条理に基づく学校づくりを考えていきたいものです。
さて、教職員運動の節目である中央委員会を9月2日に開催します。
教職員組合運動の到達や教訓、社会的役割やそこに集私したち取り組みの意義や意味を確かめ合うととに、教育条理に基づいた民主的学校づくりのあり方と、先生方の力合わせや職場づくりについて考える機会になることを願っています。
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夏休みが終わりましたね。早い学校では先週の中頃から、遅い学校では今日から2学期がスタートしています。
みなさんの今年の夏はどんな夏でしたか?
宗谷教組の夏をちょっとだけ振り返ってみます。
7月末には枝幸で「若者の集い」がありましたね。
今年は現地の枝幸支部が「みんなの集い」というルビを振ってくれました。
実行委員長を引き受けてくれた先生からこんな感想が届きました。宗谷情報で全文を紹介しますが、ここでは最後の部分を紹介します。
ちょっと日が悪く、人数は少なかったですが、その分「濃い」集いになったように思います。私も、次に会ったら話ができる人がまた増えました。ここが集いのとても大きい意義ですね。
準備は大変でしたが、支部の団結?というか、力合わせ?ができたよい機会になったように思います。「楽しかった」という声であふれていたことが、何よりみんなで頑張ってよかったなと思いました。1年に一回、若者もベテランもみんなで交流し、元気を与えたりもらったりできる素敵な「みんなの」集いが、今後も続いていくことを願っています。
参加していただたみなさん、都合がつかなったけど「行きたかったな」と思ってくれていたみなさん、「力合わせ」に参加してくれた枝幸支部のみなさん、ありがとうございました!
「準備してくれる人がいるから参加して激励しようね」って。
昔、よく先輩の先生が言っていました。もっとも組合だけじゃないですが、組合だからより一層「気にかけてくれてる人がいる」ということがみんなを激励し、実施されたその場のエネルギーが次の取り組みにつながるんじゃないかと、この実行委員長の感想から感じます。
また、全国規模の学習交流集会に参加された方もいます。
養護教員部・事務職員部から、全国での学習の場でレポート発表をしたり、学習をしてきた先生方もいます。
一方で、稚内でとっても小さくこじんまりとした学習交流会も行いました。
この学習会では「道徳の教科化」について集中的に語り合いました。先日行われた「教育のつどい」での道徳の分科会での議論を聞いていても、宗谷の先生方の道徳に対する議論は引けを取らないものがありました。全国での学びから、宗谷の先生方の力強さを感じました。これは、長い間大切にしてきている「民主的学校づくり」が身についていて、それを実践しているからではないかと感じます。
さぁ、2学期です。
宗谷教組としてはまずは初めて挑戦する「秋の教研集会」がありますね。
たくさんの先生にお声かけ(お誘い)をさせていただきたいと思っています。
全道規模では、11月3日・4日に合同教育研究全道集会が。全道の道教組・高教組の先生と交流し、学び合いましょう。
それから、道教組青年部の「オトナの宿泊学習」が10月7日・8日にあります。各支部から若い先生の参加ができるといいですね!
「宗谷の秋は忙しい」といいますよね。PTA活動があったり管内研もあったりと。
そうした合間で少しずつでいいので、組合づくりの運動にみなさんの気持ちと時間と、力合わせのパワーをいただければ、宗谷教組の運動は元気になるのではないかと思います。
学校という日常から勇気を出して、管内や全道、全国に出かけるという非日常を体験することは、先生としての自分に磨きをかけてくれるものです。
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全国規模の教育研究集会「教育のつどい」が行われています。
今年は岡山市での開催。宗谷からはとても遠い西日本での開催です。
宗谷からも1名、レポーターを生み出しています。
今年は本部からも内藤がオブザーバーで参加しています。
教職員組合が主体となって行う全国規模の学習交流集会はたくさんあります。
そんな中でも、教育実践を語ることを目的とした集まりは、案外多くないものです。
宗谷でいえば、夏休み中に実施した「小学校道徳教科化に向けた学習交流会」やこの秋の開催を計画している教研集会なんかが真新しいところですが、組合でいえば教育実践そのものというより、『民主的学校づくり』や条件整備について語ることが多くなりがちです。
そんな中で、「教育のつどい」は教育を語るということでは真骨頂ともいえるのかもしれません。
全体会や分科会での学びもそうですが、全国各地で組合運動や教育実践に熱心に取り組んでいる先生方がたくさん集うということだけで、交流や学び、はたまた次の運動が興ることもあるかもしれません。
自分の職場での奮闘が、ミクロな視点では「あれ?」って思ったり「もっと、こう…なんとかならないか」と思うようなときに、もっとマクロな視野で、全道や全国に思い切って出てみたら、同じように考えていたり教育を愉しんでいる人と出逢える。
―――こうして教育をダイナミックに考えることは、目の前の子どもたちの実践にも還り、豊かなつながりを創る原動力にもなっていくのかと。
分会・職場、そして我が街での取り組みを大切にすることと同時に、宗谷-全道-全国・・・と豊かな関わり合いができる場所にいる。
そんなことを宗谷の中で感じられるような運動を考えていきたいと思います。
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夏休みも後半に突入し、様々な教育研究集会が行われていますね。
全国や全道の教育実践のうねりを感じて宗谷に戻る方も多いのではないでしょうか。
いつもは「忙しい」という言葉がよく聞かれる学校現場で、夏休みはちょっと余裕をもって「こんな教育がいいな」ということを考えることができる時期でもあります。
8月12日の北海道新聞「卓上四季」が『なんか変だな』というタイトルで文部科学省の教育条件整備の矛盾について記しています。▶リンクはこちら
教育にかかるコストは自己負担、教職員定数は増やさないのに、貧困な働き方については必要性を語ることに対するものです。
「なんでこんなにやることあるんだろう」とか「もっとこういう授業したいのにな」ということと、日々の忙しさって真反対の位置にあるようで、実は根っこでつながっています。
私たち教職員が持っている「いい先生になりたい」「こんな教育できればいいな」ということを、声に出していくことが、仲間をつくり、想いを広めていく事につながるのです。
最近、一般的にも聞くようになった「教師の多忙化」や「部活動問題」も、こうして広く聞かれる話題になってきたものです。
同じように、「こんな教育実践をしていきたい」ということを語り合う文化を持ち合うことも大切なことです。
教職員組合は、次期学習指導要領を前に、こうした想いを後押しする取り組みをすすめています。
例えば、「学習指導要領をどう読めばいいか」とか「これから何が変わるのか」、あるいは「私たちはどんな対策をすべきか」ということなど、教職員組合運動が得意とするところです。
2020年に向けて、私たちの大先輩の時代から受け継いできた「学校づくり」ということを、今日的にアレンジして実践していくのは、私たちなのです。
だからこそ、「こんな教育、したいね」と語り合う場として、教職員組合運動があるのです。
『教育のこと、考えてみたいな』と思ったときに、あなたのそばの教職員組合が、実はすごく頼りになるものです。
組合を引っ張る側の先生方とは、そんな想いを後押しできる取り組みを広げていきたいと願っています。
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学習指導要領改訂に向けた教育課程づくりの学習を1学期の中で進めてきました。
宗谷教組の10の支部をまわったところで夏休みを迎え、学習は2学期はじめに向かいます。
そんな中、この学習会から生まれた「スピンオフ企画」として、「小学校道徳教科化に向けた学習交流会」を8月5日に行いました。
利尻富士・礼文、そして稚内。ゲストに札幌から柳憲一先生を迎え、全部で9名で約4時間にわたって学び合いました。
教職員組合運動の中で、何かひとつのテーマを決めて教育実践のあり方を話すという経験はなかなかなく、それだけでも新鮮で、そしてこれからの教科化に向かう視点をいくつかも持つことができる貴重な機会となりました。
本当に様々な話題になりましたが、気になった点をいくつかまとめます。
まずは、「道徳性」のこと。
学習指導要領にも「道徳性」という言葉が出てきますし、私たちも使いますし、道徳教育に慎重な立場の論文を見ても「道徳性」という言葉は出てきます。まずはこのことを話題にしました。
すなわち、「自己の生き方」だけに留まる道徳なのか、社会問題や仲間との関わりまでをも含んだ道徳なのかということを話しました。私たちが日常の中で、例えば休み時間のあとで友達どうしのトラブルを解決しようとしたときに、おのずと“人と人とのかかわり方”であるとか、話が絡まり合っている時には学級という社会性の中で解決を図ることがあります。これも「道徳性」であるはず。もっと言えば、道徳性の教育の日常性であるはずです。そんなことを道徳教育に生かす「道徳性の教育」ができないかという話をしました。
そして、「読み物教材」の話題に。
どうしても、読み物教材を内容項目と関連させて読んだらなんとなく「ええ話や…」と大人でも思いがちです。しかし、そこにある客観性や、題材としての扱い方の問題、主人公を取り巻く矛盾などにはなかなか気づきにくいものです。そして、教師用指導書を見ると、こうした部分は話がずれるので扱わず、内容項目に向かう議論をすると書いてあるものもあります。
こうした状況の中で、「読み物教材」をどう扱うかということを実際に教材文をもとに話しました。
参加した先生からは、導入で読み物教材を使ったとしても、授業の最後には「あれ、俺たち何の話から勉強始まったんだっけ」くらいに、実際の子どもたちの日常に還していくような授業ができればいいな…という指摘もありました。
さいごは、年間指導計画のこと。
年間指導計画や別葉は、ものすごく細かく書くと望ましいような例が出ています。そして、その例を見ると、機械的に道徳が要となるように各教科の学習を結んでいるものも見られます。
一方で大切にしたいのは、やはり目の前の子どもたちの実態、学校が大切にしている教育活動や学校文化だということ。子どもたちの学びの軸はやはり自分たちの生活であり、学校の営みであることを忘れないで教育活動をしていくことが大事、そのうえで別葉にあるような横断的・総合的な学習がなされるといいんじゃないかということで学習会を閉じました。
宗谷教組では9月をめどに、こうした学びを踏まえて学習資料を発刊します。
「この内容項目はこんな指導案で」というものにはなりません。それは、各学校で考える教育課程づくりの観点だからです。しかし、ここでも触れたような「教科『道徳』をこんなふうに教育的に考えて、私たちがこれまでも大切にしてきた『道徳性の教育』をよりよく進めてみませんか?」というものにしていきたいと思っています。
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