よく教職員組合運動を語る上で「教育条理」という言葉を使います。

条理という言葉には「社会における物事の筋道。道理。」という意味があるとされています(大辞林より)。

 

 

宗谷の学校で、宗谷の教職員が長い間大切にしてきた教育を考える上での筋道や道理としての拠り所として日本国憲法があります。そして、教育基本法には教育の目標として「人格の完成」が掲げられています。

 

 

もう少し噛み砕いて書くと、子どもたちの人間的な成長を保障するという教育の営みということになるでしょう。

 

 

一方で、「学力」向上施策やゼロ・トレランスを是とする考え方が学校の随所に見られることや、教職員の業務量や実態としての勤務時間は増すばかりで、教育条理を求めあうにも一苦労という実態もあります。

 

 

そして、こうした時代だからこそ「いい先生になりたい」という、教職員になろうと願ったきっかけを振り返ることが大事なのではないでしょうか。

 

例えば、授業づくり。

教員免許を持っているだけで、子どもたちが瞳を輝かせる授業が可能かといえば、それは難しいでしょう。子どもたちの現状を受け止め、教科書の指導内容をもとに「この子たちに向けて」の最良の方法を考えたりします。

 

また、授業だけではなく、児童生徒理解や集団づくりは一般教諭だけでなく、管理職や専門職の先生方とも大いに力合わせをしていきます。

 

次期学習指導要領に向けて、この秋以降は道徳の教科化をはじめ、各教科での移行措置に向けた準備がはじまります。こうした時期だからこそ、「私たちが大切にしていきたい教育とは何か」という、いわゆる教育条理に基づく学校づくりを考えていきたいものです。

 

 

 

さて、教職員運動の節目である中央委員会を9月2日に開催します。

 

教職員組合運動の到達や教訓、社会的役割やそこに集私したち取り組みの意義や意味を確かめ合うととに、教育条理に基づいた民主的学校づくりのあり方と、先生方の力合わせや職場づくりについて考える機会になることを願っています。