宗谷教組には、数百人という組合に加入している仲間という財産があります。
集まって語り合うと、おのずと名言に出逢ったりするものです。
以前に、分会活動が活発な職場におじゃましたときのことです。
「組合は教師の学校」ということが語られていました。
さらに話を聞いていくと、学校の先生として学ぶ事を大切にしていきたいよね…という話に。その中で、『学校の先生だからできること』のひとつとして「仲間と生きるということを伝えられる」という言葉が印象的でした。
組合で学んだことが教育実践に生きることだってあります。
教師の授業力とかではなくて、「仲間と生きるということ」を日々考え合っているからできる実践ってあるんだと思うのです。
別の街の若い先生が話してくれたことがあります。
組合で、人事異動の時期になるとよく考え合う「理解と納得」ということでのエピソードです。「組合で民主的討議について学んでよかった」という経験談です。
児童会選挙でのできごと。
なかなか会長候補が決まりません。
民主的に話しあわせながらも、どうしようかなぁと考えていた時のこと。
このときに組合で学んだ考え方で役に立ったのが、人事の時によく聞く「理解と納得」。
子どもたちに学級のリーダーや全校のリーダーを分かち合いながら、どう組織化していくかという考え方を話し、子どもたちは自分たちなりに「理解と納得」を見いだしてくれました。
教師として、組合活動に携わっていなければ、「理解と納得」の考え方を生かして、子どもたちに語ることができなかっただろうし、子どもたちが困っているときに、適切なアドバイスはできなかったなぁ…と振り返ります。
聞けば、そのあとは会長候補を支えるために学級で何ができるかということを話し合い、無事に児童会選挙を乗り越えて子どもたちはそれぞれの役割に奮闘したといいます。
よく、「組合のメリットは?」なんて言われたりします。たとえなかなか気づけなかったとしても、「あれ?これかも!?」と気づくときがあります。先の体験談の先生は、この経験をきっかけに「組合辞めようかな」と思わなくなったそうです。
教職員組合運動は、生活や権利の面の前進を求めることだけでなく、目の前の子どもたちにどんな大人になってほしいか、そのためにどんな教育ができるのか、大人としてどんな未来を手渡すのか…ということを考えるダイナミックな運動です。
そしてそれは、日々の先生方の「忙しい」という苦悩に寄り添うような、職場づくりに源流があります。
あちらこちらで「宗谷教組っていいな」と思ってくれる人がいると、運動は頼もしくなります。
そして、「いいな」という思いを担い合うことで、運動も、学びも、笑顔も、広がっていくんだと思います。