9月3日に、宗谷教組第50回中央委員会を行いました。

役員・代議員合わせて50名近くが集う機会となりました。

 

これまで半年間の教職員組合運動を振り返る機会として、中央委員会は有意義な時間となります。

各支部・専門部からの発言「討論」では、14本の発言がありました。

 

 

 

民主的学校づくりの取り組み

今年、宗谷教組として意識している取り組みです。おのずと、各支部の発言でもこの観点についてものが大多くありました。どの発言にも共通しているものは、「支部の現状を土台に、末長く続いていく取り組みにしたい」という願いです。早い支部では、具体的な運動に展開しているものもあります。利尻支部や稚内支部の教育講座運動や、猿払支部の働き方について考える取り組みなど、他支部の取り組みを激励するものも多くありました。

 

分会活動の意義

 異口同音に、組合活動に集うことの大変さや、その反面での大切さについて語られました。

 「一人一人が自分の時間に都合をつけて、中央委員会に集っている。修学旅行翌日だったり、今朝までお泊りレクをしてかけつけた先生もいる」

「顔を合わせて、話すことが大事だと支部会議を開いてみて感じる」

また、これからに向けてどんな取り組みにしたらいいかと計画を練っている支部もいくつかあります。「ひとりひとりのそばで組合が動いている」ということを感じる取り組みになってきました。

  

 

中央委員会を終えて、「情勢と組合のがんばりどころがよくわかる、いい集会でしたね。これからの宗谷の教育を発展させるにも、組合の役割は大きいと改めて感じました。」という感想をベテランの先生からいただきました。

議長をしてくださった方からも、「組合の集まり、来る前は億劫。でも、来てみれば元気出る」という感想が述べられていました。こうして集まってみて感じること・考えたことを、どんどん広めていきたいと感じます。

 

 中央委員会が土曜日に迫ってきて、今日は代議員の参加者集約日でした。

 10個ある支部が、市町村内の行事などとの折り合いをつけて、どうにか代議員を出してくださっている様子が伝わってきます。

 本部として提起する立場として、ありがたいし、「大変だよね」という気持ちが強くなる1日です。

  

一方で、「これが大事だ」「こんなふうにすれば、きっといいはず」という願いがあっても、そこに届かない、できない場合もあります。

 例えば、「中央委員会、とっても大事だけど、みんな学校行事があって行けない」とか、「学習会を組織したいけど、日程が取れない」みたいなものがあるものです。

  

心意気ということもあります。

 「自分の都合をちょっと変えてみて、組合の活動に行ってみよう」とか、「自分が無理をすれば、うまくいくんだけどな」というようなことが、組合活動にはつきもの…なのかもしれません。

  

みんなが、少しずつ自分の時間だったり、自分の予定をやりくりして、組合運動は動いていきし、これからもきっとそうなんだと思います。

 「この組合のためなら、自分の力を出したいぞ」と思えるような、組合づくりをどう創ろうか、そう考えるのも中央委員会という節目がもつ役割なのではないかと考えながら、準備を進めます。

 

 昨今、先生方の「忙しい」という声をよく聞くようになりました。

 そんな中で、ある先生とちょっと突っ込んで話したときに、以下のような話になりました。

 

 「忙しさ」を自分たちで増産している節はないだろうか。たとえば、掲示物を「きちんと、ちゃんと」作りたいとか。パソコンで作ってきれいに切ってラミネートかけて…っていうことを誰もがやらないといけないような空気感も多忙につながっているんじゃないかな。掲示物の話は「例えば」だけど、限られた「時間」という平等に与えられた「量」をどう使うかは、先生方、人によって違う。「寝る間も惜しんで教育に授業のために使いたい」っていう若い先生がいてもいいし、逆に「家に帰って、我が子に人並みの時間にごはんを食べさせたい」っていう子育て世代の先生だっている。そういうことを配慮し合うための、知恵や工夫を考えてけたらいいんじゃないかな。

  

「忙しい」ということが、どういうことなのか。

 こうした分析ってとっても大事だと思います。

 例えば「教員定数の増員」など制度的な見直しが必要なのであれば、『じゃあ、要求実現運動をがんばろうか』となります。また、なかなか持てない視点では、自分たちの働き方をしっかり見直してみるということもあります。前述した先生の声というのは、こうした部分の指摘なんだと思います。

 さて、組合に専従がいるということ。これって、とっても貴重なことなんだと思います。

 そのうえで、専従の、いわゆる「労働力」をどう活用するのかということは、先生方の普段の学校の業務の上ではなかなか考えないけれど、大事なことだと思います。「専従の労働力」、それはつまるところ、「大事な組合費」でもあるからです。

 そして、「ちょっと突っ込んだ話」をすることは、これからの運動につながります。

 専従の弱みは、現場にいないということです。そこを補う語り合いが運動を豊かにするんだと思います。

 9月は、各支部・各分会で民主的学校づくりの取り組みが進みます。

普段考えていることを語り合う機会になることを願います。

 

 

昨年の中央委員会での出来事です。各支部からの発言を聞いて本部はびっくりしました。それは、普段から支部代表者会議などで交流しているにも関わらず、知らなかった支部活動・専門部活動がたくさんあったからです。そして、「組合はこんなに動いているんだな」と感心したものです。

 

 

 

宗谷教組の活動は、分会・支部の活動と、専門部の活動との二つの「系統」があります。こうしてたくさんの活動が行われているのですが、企画・実施に精一杯なのか、実施する前の「宣伝」や、終わったあとの「振り返り」、あるいは「まとめ」まではなかなか手が回らないのだと思います。

 

 

 

それはとってももったいないことだと思います。教職員組合のように「みんなの善意」で動いている活動は、活動があって「よかったね」という声が、違う場の活動を創る…というように、活動が伝播していくことがあります。そうした意味では、「こんな活動やったよ」ということが伝わっていくことは、組織拡大と同じくらい重要なことだと感じます。

 

 

 

中央委員会第三号議案「2月までの活動の方針」では、こうした営みについてふれています。分会での情報や、支部情報など、読んでちょっとほっこりするような「発信」の取り組みについてです。実を言うと、宗谷教組本部の一番の悩みはここです。「集まりの告知(おしらせ)を一人ひとりの先生方にどう届けるか」という本部が抱える課題もあります。そして最初に挙げたようなみんなで工夫しあいたい課題もあります。

 

 

 

「組合が、あちこちで動いている。『つながり』っていいな」ということが、宗谷の教職員組合を強く、たくましくするのだと思います。みんなで希望を紡ぎ合う2学期になったらいいなと願っています。

 

町の中心校で、研修を担当したことがありました。

ある年のこと。「学芸会」について「研修部おたより」に次のように書いたことがありました。

 

 

「種目をどうしようか。」ということはもちろんです。さらに、「子どもたち、学芸会を通してこんなふうに育ってほしいね」という語り合いを大切にして、「学校の文化創造活動」としての学芸会に取り組める意識を持つことが、学芸会を通して「集団づくり」の意識の高まりにつながるのではないでしょうか。

 

 

忙しくなると、「行動」ばかりで会話をしてしまいがちです。

 

『今日の練習は何時間目で…』 

『今日は台本の何ページまで進まないと…』 

『器楽のパート練習がすすまなーい(>_<)』などなど。

 

子どもの姿で語り合うことを忘れがちになってしまいます。

 

「子どもたち、学芸会を通してこんなふうに育ってほしいね」ということを大事にして取り組みを進めれば、取り組みの中で、遠回りしたりや立ち止まった経験も含めて、一人ひとりの、そして子どもたちの学びとして、みんなで「がんばったね」と言えるのではないと思うのです。「本質をつかんだ語り合いをすると、ぶれがあっても広く大きくあたたかな一致点で確かめ合える」そんな気がしています。

 

「あれやって、これやって…」という行動ではなく、子どもたちの姿で語り合う。語り合ったことを胸に、力合わせをしていく。そうすると、先生も子どもたちも、たくさんの達成感に満ち溢れるはず。学校の先生って素敵な仕事だなぁって、行事の取り組みを通して感じます。