「秋の教育研究集会」では、道徳の教科化に関するミニシンポジウムを行いました。管内で活躍する小学校の先生2名と、中学校の先生1名にパネリストをお願いしました。9月初めに教科書が決まったこともあり、関心が高く校種・職種を問わず30名を超える先生方が参加してくださいました。シンポジウムの中で特徴的だった議論をまとめます。

 

 

 

「道徳教育と道徳科」という視点

 

 シンポジウムの冒頭でパネリストの先生が「道徳教育と道徳性と…」という違いを鮮明にしてくれました。私たちが学校の教育活動の様々な場面で、例えば集団づくりや学級で起こるささいなトラブルなどを通して、人間関係や他者との関わり方などを身につけてほしいと願い、日々の過ごすということがあります。こうした「道徳性の教育」を大切にしながら、教科「道徳」の授業をどうしていくのかという視点です。

 

 

 

教育課程づくりの視点で教科「道徳」を見ると…

 

 宗谷の先生方と集い合い「道徳の教科化」を話すことがとても有意義なことだと感じさせられたのは、やはりこの「教育課程づくり」の視点が、交流の中で自然に出てくるということです。

 

 道徳にまつわる現状では、「教育課程づくりの観点から教科部会を立ち上げた」とか、「今やっている学校の教育活動をどう関連させていけばいいか考えていきたい、あるいは、考えている」などの各校の現状が語られました。

 

 宗谷教組では、子どもたちが自己の生き方はもちろん、社会構造を考えたり、他者とのかかわりを意識するような道徳の実践を「道徳性の教育」と呼ぶことにしました。こうした考え方は、元来学校の教育活動のあちらこちらに散りばめられてきたはずです。こうした事実や今後の展望について、職場の中で共通理解を図ることの重要性を感じる機会になりました。

 

 

 

道徳の「授業」だから、「まとめ」をしなきゃいけないと思うんだけど…

 

 フロアーの先生から「『手品師』の文章で授業したことがあるんだけど…」という発言がありました。「授業の中で、子どもたちがいろんな発言をしてくれる。その中には『手品師は誰かに伝言をお願いしたらいい』とかもある。ただ、道徳の〝授業〟だから『授業のまとめ』をしなきゃいけないと思う。そうなると、こうした子どもの発言をどうしたらいいかと考えてしまう」と、授業をした経験を話してくれました。

 

 これを受けてパネリストの先生からは「教材文は〝きっかけ〟としてとらえればいいのではないか。」という指摘も。『手品師』の教材文でいえば、手品師のように「人生の一大転機なんてそうそうくるわけない」というコメントに笑いも。自分自身の経験として葛藤や迷いが起きたときの経験などに話題が膨らみそのことから教訓が得られるような方法もあるのではないかと考えさせられました。

  

 

いろんな子どもがいることを受け止めて…

 

 教室の子どもたちの様子と「評価する」ことの関連について語られる場面がありました。

 

 普段からなかなか自分の想いを伝えられない子、文章は苦手だけど得意な表現方法をもっている子、もちろん発表する力や文を書く能力に長けている子もいます。また、こうした視点を持ちあえるということは、家族構成や家庭環境などが様々な中で、教科「道徳」の中で扱われる教材文が子どもたちにとってリアルなものであるかどうか、扱うことが適切なのかということを考える視点を持つことにもつながります。

 

「子ども理解」の意識をもって教科書をながめたときに、内容項目を扱うための教材として、教科書が必ずしも適切なのかどうかということを吟味していく目を持つことも大切な視点だと考えさせられます。

 

 

 

 

 

まとめにかえて…

 

 フロアーのみなさんから挙げていただいた課題意識の半数は「評価」に関わるものでした。今回は1時間ちょっとの時間しかなかったため、なかなか深めることができませんでしたが、今後につながる視点になったと思います。