今年も、宗谷の春の学び始めである「学び愛フェスタ」を開催することができました。

管内各地から、100名を超える先生方が参加してくださいました。

 

「先生方が、学ぶ」ということには様々なやり方や考え方、手法があります。

 

宗谷では、「目の前の子どもたち」のことを学校単位だったり、市町村単位で研修に位置付けて取り組んでいこうというのが、歴史的に大切にされてきました。25回を迎える「学び愛フェスタ」もこの考え方を大切にしています。

  

一方でこの数年間は、あえて全道・全国の実践家の先生を全体講演・分科会の講師の方をお願いし来ていただいています。

 

日本で戦後教育の中で発展してきた民間教育研究団体の研究の蓄積にフェスタの機会に触れることが、今日的な宗谷の教育研究運動には大切ではないかと考えたわけです。

  

さて、そんな中での今年のフェスタ。全体講演は、徳水博志先生(宮城県・元小学校教員)にお願いしました。徳水先生が2011~12年に宮城県石巻市雄勝で取り組んだ復興教育の実践と、これからの新学習指導要領の問題点から、宗谷で私たちがこれから考えるべきことについて考える講演でした。

 

また、講座は全部で11個ありました。小学校・中学校の授業づくりや集団づくりについて考える講座、宗谷教組専門部による講座。そして、今年初めて女性部が取り組んだ「子育てカフェ」です。

 

フェスタを終えて、参加された先生がまとめてくれた感想から全体講演・各講座の様子を見てみましょう。

 

【全体講演】

 

新学習指導要領改訂を前に、徳水先生のお話を聞き、改めて『誰のための教育課程なのか』を考えることができました。

 

お話を聞きながら、復興に立ち上がる大人・教師・そして子どもたちの映像を見ながら、ふと、いつもの自分の授業、子どもたちの表情を思い出しました。『何につながっていくのだろう』と考えながら過ごしている子どもたちがいるのではないかと。

 

徳水先生の貴重な教育活動の資料の中から伝わる、徳水先生の教育者としての使命感、何よりもご自身が被災された中、発想の転換とあきらめない姿勢を宗谷に届けてくれたことに感謝します。徳水先生の姿が私たち教師に勇気づけてくれたように感じました。

 

 

 

【講座感想】

<子どもの笑顔が広がる授業づくり>

授業で子どもの笑顔が広がるために大切な要素…ということが、具体例や子どもの名言からとてもよく理解できました。先生のような授業、子どもからいろいろなつぶやきや名言が出てくるような授業にしていくために、私も「憲法が守られているクラス」にしていきたいと思いました。

 

<小学校の学級づくり>

参加者の学級の実態を聞いてお答えいただいたり、たくさんの実践を紹介していただいたりして勉強になりました。無理やり子どもを変えるのではなく、その子と関わりながらまわりが成長するというのを聞いて、この考え方を大切に月曜日からがんばれそうと思いました。

 

<国語の授業と作文指導>

模擬授業を通して、国語の授業の楽しさを改めて感じることができました。授業を受ける側を体感して、ものすごく楽しかったです。太田先生の授業に向かう姿勢や、作文指導のことなど、また学ばせてほしいと思いました。

 

<算数の教具と教材研究>

教材づくりだけではなく、算数好きになれる工夫がたくさんわかり、勉強になりました。

 

<地域とつながる教育実践>

地域とつながるため、メディアとのつながり方、行政とのつながりについて参考になりました。小さな地域でもメディアとのつながりを作れると感じました。まずはつながりを自分でも作ってみます。

 

<ネコちゃん体操からの器械運動>

子どもに教えるのが難しい器械体操。それを「ネコちゃん体操」をやることによって、器械運動の基本的な動きや体の使い方、筋力を身につけることができるので、とても参考になりました。『お話マット』が楽しく、これなら低学年の子どもも楽しみながらマット運動に自然と取り組めると思います。

マット運動では、今日のことをそのままやってみたいと思いました。

 

<特別支援教育>

「おおらか」「認める」「共感」あらためて大事だと思いました。実践の様子を聞いて、自分の緊張が和らいでいくように思いました。

もう少し和やかな気持ちで児童と向き合っていきたい。そして、楽しんでいきたい。-そんなことを思えるすばらしい時間でした。

 

 


 

 

今、先生方の中では「忙しい」ということが最大の困難性になっている…といっても過言ではありません。

しかし、子どもたちとの日常のやり取りに「あれ、この子はどうしてこうしたのかな」と気づく視点が持てたり、自分の授業をするうえで外せない「キモ」はここだということが、『なんとなく』から確信になるのだとすれば、それは日々の辛い「忙しさ」の中では、心のオアシスのようなものになるのかもしれません。最も、そうした感情的な言い方を乗り越えてつかむことができる、教師の授業に向かう本質なのかもしれません。

  

フェスタをきっかけとして、教師という仕事の本質を考えることの大切さを、みんなで確かめる節目がひとつできたのではないかと思います。