日本古来の伝統とか文化。

 

様々な職種や業界に根付いているものです。

 

私たちが消費者として恩恵を受けるものの中にも、伝統や文化を大切にしていたり、新たな価値観を見出していて元気を取り戻している産業や商品があるものです。

 

 

 

たとえば、巧の技。

 

テレビで紹介される老舗の味みたいなのって、ついつい惹かれたりしませんか?

 

「創業50年のこの焼き鳥屋は、開店以来、タレを継ぎだし、肉は企業秘密の方法で美味しさを保っている」みたいな。

 

 

 

また、最近ではこれまでもその地域に当たり前に存在していた農水産品を、ブランド化して製品にすることで、新たな価値を見出しているなんていうことも珍しくなくなりました。

 

 

 

私たち教職員組合が教育を語る理由も、こうした伝統や文化の側面、そして時代の変化という今日的な課題を乗り越えて本質をつかむというあたりにあるのです。そうした意味では、巧の技とかブランド化に通じるところがあるような気がします。

 

 

 

教育には「不易と流行」という言い方があるように、教育基本法改正や新指導要領によって、教育のあり方が変化させられている側面がある一方で、私たちの運動の歴史そのものが拠り所になる場合もたくさんあります。

 

 

 

いま、教職員組合離れが進んでいます。

 

運動が古臭く見えるからかもしれません。

 

教師の多忙さのせいかもしれません。

 

もしかすると、もっと違う部分に理由があるのかもしれません。

 

 

 

しかし、大切にしたいのは教育が持つ「人を育てる」、「子どもたちを内から外へ導いていく」という営みの専門性を高めるために、あるいは、そのために必要な教育条理を広め合うために、教職員組合運動は欠かせないということです。

 

 

 

教育って、「老舗の味」みたいに見えるものでも味わうものでもないっていう難点があるものの、「人格の完成」の観点を持って古来から大切にされてきた教育を考え合うということは、豊かな営みであり、ひとりひとりの先生方の実践に跳ね返っていくものです。

 

 

 

教職員組合として、教育を語ることを大切にしていきたいものです。